Uyeda Jeweller
Column
和洋ジュエリー手帖
vol.15

大好きなオードリー・ヘプバーンさん、その素顔

 

加藤 タキ / Katoh Taki
コーディネーター

愛に満ちた女性でした。
人への愛のみならず、花や木々、風を愛で、動物を慈しみ、深くあたえる愛。
2021 年 1 月に発売された映画雑誌『Screen』によると、天国に召されて 30 年近く経ついまでも “Legend” 伝説のスター人気No.1。
ご自身の孤独な少女時代や悲惨な戦争体験を活かし、晩年、ユニセフ親善大使として内戦、飢餓、病気などで苦しむ世界の子どもたちへ尽くした献身的な姿が、映画で見せた魅力とともに、唯一無二の存在として、いつまでもファンの心に深く刻まれているのでしょう。

オードリーさんお墓参り(2012年夏)
オードリーさんお墓参り( 2012 年夏)
オードリーさんお墓参り(2013年冬)
オードリーさんお墓参り( 2013 年冬)

初めての出会い

1971 年。日本のファッション・ウィグの TVCM に出演していただく交渉が成立し、撮影の打合せのために私はスポンサーや 10 人近くの日本人スタッフをお連れしオードリーさんが当時お住まいだったローマのご自宅を訪ねました。
蔦に覆われた重厚なレンガ造りのアパートメント。5 段ほどの石段を上がると木製の大きな扉に蹄鉄のドアノッカー。コンコン〜。
メイドさんが出迎えてくださるのかと思いきや、扉が開くと、なんとそこにはあの『ローマの休日』でお馴染みの気品ある優しい笑顔のオードリーさんご自身が立っていらっしゃるではありませんか!
ワインカラーのニットの Aライン・ワンピースに、同色のスウェードのブーツ。
スラリ、颯爽、なんとエレガント。オードリーさんはもろ手を広げ、「Welcome! All the way from Japan!! Just come in, please」と歓迎してくださいました。
あのときの感激は、いまも私の心の引出しに熱い想い出として大切にしまってあります。


No Jewelry, No accessories そして 短い爪

その頃、オードリーさんは 1 歳になったばかりのご次男の子育て真っ盛り。
ミーティングが一段落したとき、可愛いベイビーは目をクリクリとさせママの腕の中でご機嫌でした。赤ちゃんを抱く彼女の表情は、打合せのときとはまた異なるなんとも言えない優しさに満ちあふれていて、それは美しかったです。
ジュエリーやアクセサリーは一切身に着けず、キレイに短く切りそろえられた爪は、マニキュアもなく、とても印象的でした。
頻繁に赤ちゃんを抱っこし、あやし、ミルクを与え、オムツを替え、入浴させる子育て中の一人の母親として、短い爪もノー・アクセサリーも、自分がいま最も大切にすべきことは何かを熟慮なさっていらしたのですね。


2度目の出会い

1982 年、私はふたたびオードリーさんとのご縁に恵まれました。
日本のファッション関係のCMにご出演していただく契約がスムーズに整い、今度は撮影場所のパリまでお出ましいただきました。彼女のパリでの定宿はプラザ・アテネ。私たちスタッフはもちろん別のホテルです。毎朝、7 時半に彼女のホテルへお迎えに伺い、7 時 25 分に私がロビーから「Good morning」と電話をすると、「Thank you, I will be right down」。そして、7 時 30 分 20 秒くらいにはエレベーターが開き、よく使い込まれたルイ・ヴィトンのボストンバッグを手に降りていらっしゃいます。
1971 年のときは土日をはさんで2週間、1982 年のときは 5 日間の撮影でしたが、一度も時間に遅れたことはなく、まことにプロフェッショナルな姿勢で真摯に仕事に臨まれました。


自分の荷物は、自分で持つ

重たそうなボストンバッグなので私が「お持ちしましょう」と手を差し伸べると、彼女は「Oh, no no… This is my personal belongings; I can carry it. If you are a big man, I may ask you to help me though. Thank you, anyway」と、ニッコリ。
驕ることなく、スターだからと錯覚もなさっていない、なんと知的な成熟した女性!
オードリーさんのこのような日頃の在り方、佇まいから、私はどれほど多くを学ばせていただいたことでしょう。

タキさんの結婚祝いにオードリーさんからプレゼントされたブレスレット
タキさんの結婚祝いにオードリーさんからプレゼントされたブレスレット

オードリーさんのファッション観

パリでの仕事が終了したとき、彼女は撮影で使用した ”光モノが入った櫛型の髪飾り“ を私にプレゼントしてくださいました。ご自身の持ち物から拝借してつけていただいていた髪飾りです。
「まぁ〜ッ、よろしいんですか?」と大喜びしていた私に、オードリーさんがこうおっしゃったんです。
「タキはこういうキラキラしたものがよく似合う。でも、私は似合わないの…」。
似合わない、という表現にビックリした私は、
「エ〜ッ、とんでもない…。今回もモチロンだし、『ローマの休日』を始め数々の主演された映画の中でいつもそれは素敵にジュエリーやアクセサリーをつけていらっしゃるではありませんか…」
「タキ、あれはね、女優オードリー・ヘプバーンが “演じている” の。でも、普段の私は、似合わないの。どうも居心地がよくないの…。だから、パーティのときも初めは色々とつけてみるんだけれど、出掛ける前に結局いつも取り外してしまって、最後は大好きな真珠をつけるくらいかしら」と。
このパリでの撮影のときも、ご自身でコーディネートされた衣装に合わせておつけになられたジュエリーは、やはり真珠でした。
気高く、でも主張しすぎない。カジュアルにもフォーマルにも合う真珠は、オードリーさんをリラックスさせていたのでしょう。

もう一つ、忘れられないエピソードがあります。
あれは確か 1985 年の冬だったかと思いますが、ヨーロッパに大寒波が押し寄せました。ローマで再会したときのこと。
「ねぇ、タキ… ひとつ相談に乗ってくださる? まもなくスイスの家に行くのだけれど、私、いよいよ毛皮のコートを買わないともう寒くて…。でも自分では買ったことないから、すごく悩んでいるの…」。
え〜っ、オードリーさんが毛皮のコート選びで悩んでいらっしゃる?!
私は思い出したのです。映画の中でジュエリーもパーティドレスも、毛皮もよくお似合いでいつもファッショナブルに着こなしていらっしゃるのは “女優・オードリー・ヘプバーンが演じている“ のだとおっしゃっていたことを!
そう言えば、彼女が普段お召しになっていらっしゃったのは、紺色のシンプルなコートでした。
結局、何着か試されて、飽きのこないデミパフ・ミンクのシンプルなデザインのコートにお決めになりました。少女のようにはにかんで、でも嬉しそうに
「やっぱり暖かい…」。


自分の価値観を、人に押しつけない

オードリーさんのファッション観は、“シンプル志向”です。
かつて、私はあるシンプル志向の女ともだちに、冷ややかに言われたことがありました。
「あなたは、ホント、いつもジャラジャラといっぱいつけるのが好きねぇ。時代は、いまもっとシンプルよ。引き算の時代よ」と。
確かにそうかもしれない。けれど、時代がどうあれ、人それぞれの好みで良いのでは、というのが私の考えです。
オードリーさんは、私におっしゃいました。
「私には似合わないけれど、タキは、いっぱいアクセサリー類をつけるのが好きよね。よく似合っている。とても、あなたらしいわ!」
“人はひと。自分はじぶん。個性を重んじる。自分の価値観を人に押しつけない”
ややもすると忘れがちな多様性を受けとめるということを私はオードリーさんからあらためて学びました。

私の顔は、自分史

1983 年、オードリーさんはご家族とともに初来日されました。フランスのデザイナー、ユベール・ド・ジバンシーさんのファッション活動 30 周年を記念したイベントに親友として特別参加をなさるため、ローマから遠路南まわりの飛行機で成田空港に到着。
翌日の TV のワイド・ショーは、どのチャンネルもその姿を映していました。
ホテルの部屋で朝食を一緒にとりながら、彼女は「Oh, No…」と手にしていたカトラリーをテーブルに置いてしまいました。
「こんな疲れきった顔を大きく取り上げられたら、日本のファンが私をキライになってしまう…」と悲しそうにため息を。
ただでさえ飛行機の旅は疲れますが、当時の南まわりは何カ国もの空港を経由し本当に長旅です。
でも、私はオードリーさんが以前おっしゃったことを思い出し、申しました。
「ご心配なく。日本のファンは、ちゃんとわかっています。お疲れだったでしょうに、あなたの笑顔は、とびきりステキな笑顔です! シワなども含めていまのあなたを皆、大歓迎していますよ。 去年、あなたが、私たちにおっしゃったことを覚えてますか?」
それは、パリでの撮影に入る前の打合せのときのこと。すべてが和やかに運んでいたのですが、彼女が、ある時点で、毅然と「NO. That is NO!」と。
日本の演出家が絵コンテをお見せしながら提案したのは、『ローマの休日』で “アン王女が、気高い笑顔で記者会見に臨んだときのあのお馴染みの写真を大きく引き延ばし、ソレを背景に、いまのオードリーさんがカメラに向かって台詞を言う“というものでした。
あまりにハッキリと「NO」とおっしゃったので、皆ビックリしましたが、その理由をうかがい、おおいに納得したのです。いわく、

「この写真は私がまだ 23 歳のころ。若いというだけで、確かに肌もキレイです。
が、あのころの私は、いつも情緒が不安定でした…。いつまでこの人気は続くのかしら…。これからも素晴らしい監督や共演者に恵まれるの…? などなどと、私のお腹の中にはいつも蝶々がバタバタと飛んでいる感じだったの。あれから何十年も経ち、私はさまざまなことを経験し、学んできました。成長しました。時とともに顔のシワも増えました。でも、“シワも含めて、自分史”なんです。
“いまの私”を見ていただきたい。
この写真を背景にすると、私が、いつまでもあの頃の名声に浸っていると誤解をあたえかねない…。私は、明日に向かって、今日を生きているんです!」
心から感動しました。
私自身も、この考え方、生き方を心掛けようと思いました。
そのとき、ウィンクをなさりながら最後に一言つけくわえた表情も忘れません。
「でも、ライティングを工夫するとか、紗をかけるなどをして、なるべくキレイに撮ってね!」
可愛かった…。齢を重ねても、彼女の茶目っ気と、気品あふれるエレガントな魅力は、永遠でした。

オードリーさんは、そのときのことを思い出されたのか、ふたたびカトラリーを手にとり TV に映るご自身を楽しそうにご覧になっていました。ポジティヴな、いつもの素のオードリー・ヘプバーンさんに戻っていらっしゃいました。

タキさんがUyeda Jewellerで購入され、オードリーさんにプレゼントされたリング
タキさんがUyeda Jewellerで購入され、
オードリーさんにプレゼントされたリング

A Petite Pearl Ring

初来日されたとき私の再婚祝いにと小さな♡が4ヶついたイタリア製ゴールドの華奢な鎖型ブレスレットをプレゼントしてくださいました。
彼女自身は日頃アクセサリー類をほとんどおつけにならないのはわかっていましたが、何かプレゼントをと思い、馴染みの深い帝国ホテルの Uyeda Jeweller へ行ってみました。
すぐに私の心を惹きつけたのは、淡水パールとゴールドの繊細なピンキー・リング。なんとも可愛らしく、このリングならばきっと喜んでくださるだろう!と、
すぐ購入を決めました。2つ…。一つは オードリーさんへ、もう一つは自分自身のために。海を越えて結ばれる友情…。ジュエリーはその証しとしていつまでも優しく語りかけてくれます。
来日中、どこへ行ってもファンに大歓迎された彼女は、温かい想い出をいっぱい胸に無事ローマへお帰りになりました。リングのことも含めお心のこもった手紙をくださったことを、つい昨日のことのように懐かしく思い起こします。
「美しくて繊細で、すてきなプレゼントを、本当にありがとう。
この小さな指輪は、まるであなたみたい . . . . . . そして私みたい . . . . . . !
ホントに素敵で、とっても気に入っています。私たちってよく似ているから(これは私のうぬぼれかも)こんなにいいお友だちでいられるんじゃないかしら。とても幸せなことだと思います」と。

もともと日本が大好きでいろいろと勉強はしていらっしゃいましたが、実際に滞在されてますます好きになった彼女は、こうもおっしゃったんですよ。
「タキ、もしかしたら、前世、私は日本人だったかも…!」

加藤 タキ プロフィール

Katoh Taki
加藤 タキ / Katoh Taki


1945 年東京生まれ。アメリカ留学後、米国報道誌勤務を経てショービジネスの世界へ。
1970 年代から、オードリー・ヘプバーン、ソフィア・ローレンをはじめ海外のアーティストの CM 出演交渉や音楽祭などで、国際間のコーディネーターとして先駆的役割を果たす。その後、TV、講演、各種委員、著述等、幅広く活動。
1993 年1月、オードリーさんは天国へ。彼女亡き後もご家族とは長きに渡り親交を温めている。
日本初の女性国会議員であり 104 歳の天寿を全うした明治人の母・加藤シヅエの精神と言葉を、広く語り継ぐことを使命の一つとしている。
国際 NGO / AAR Japan [難民を助ける会] 副会長、「新現役ネット」理事長など、 ボランティア活動にも励む。
「アンチエイジング大賞 2017 特別賞」受賞


祖母の代から三代のお付き合い
1962 年 高校卒業のお祝いに、両親からプレゼントされた初めての真珠の指輪も、1964 年 アメリカ留学する際にプレゼントされた初めての真珠のネックレスも、もちろんUyedaさんのもの。
1966 年 21 歳で働き始めた時の初めてのお給料で、同じ色、ツヤのパールを数粒 足して以来、何か嬉しいことなどの記念に、何 cm ずつか足していき、最初は チョーカーだったものが、今や 2連に出来るほどの長さに!
Uyeda さんのリング、ピアスなど特注のものも含め、日常的に色々と楽しんでいます。

このコラム配信を記念し、加藤タキさんがオードリーさんにプレゼントなさったパールのリングを 38 年ぶりに復刻・販売開始致します。