西洋文化、そして、音楽、演劇、映画などの芸術の発信地である日比谷は、明治維新以降『東京における新しい西洋文化が発祥した街』です。日本初の西洋式社交場・鹿鳴館(1883 年)、日本初の西洋式ホテル・帝国ホテル(1890 年)、日本初の洋風近代式公園である日比谷公園・洋食レストラン・松本楼(1903 年)などが代表的な例です。また、宝塚・日生劇場等、日本のブロードウェイとしてのエンターテイメントの街でもあり、『楽しい思い出の集積地』でもあります。
元々現在の東京ミッドタウン日比谷一帯は関東大震災まで日比谷大神宮(現在は東京のお伊勢様・飯田橋にある「東京大神宮」)があった場所であり、気の流れが良い気がします。ミッドタウン前のシャンテから帝国ホテルに抜ける道が日比谷大神宮の参道だった、と元専務の叔祖父、故植田義己より伝え聞いております。
日比谷、霞が関界隈は江戸時代元々大名屋敷でしたのでその跡地が日比谷公園や帝国ホテル、霞が関の官庁街になっています。ちなみに帝国ホテルは元福島陸奥白河藩藩邸、隣の NTT とみずほ銀行本店は薩摩藩の藩邸でした。
日比谷のランドマークである帝国ホテルは 2020 年に開業130周年を迎えました。開業のきっかけとなったのは明治政府が幕末からの不平等条約改正を外交政策の最重要事項のひとつとして取り組み、日本が欧米列強と肩を並べられる国である、と言うことを証明するために初の社交場である鹿鳴館を 1883 年につくり、外国人をもてなす国際的なホテルが無かった為、日本の迎賓館として「帝国ホテル」が 1890 年に誕生しました。
創業者はその為、当時の外務大臣の井上馨と日本資本主義の父、渋沢栄一、そして宮内庁でした。今では日本のホテル御三家と言われていますが、ホテルオークラの開業は 1962 年、ニューオータニは 1964 年と、1890 年創業の帝国ホテルとは圧倒的に歴史が違います。また、世界のホテルの中でも古く、パリのリッツでも創業が 1898 年です。世界的にも 100 年以上続いているホテルが少ない中での 130 年。重みがあり、世界に誇る事が出来るホテルだと思います。
その様な帝国ホテルが中心にある日比谷は、他界した父、三代目植田新太郎が生まれ育った地でもあります。創業 100 周年(1984 年)の記念事業は社史では無く、日比谷の歴史と現在をまとめた『日比谷 100』(1984 年)を発行する程、日比谷に対する愛情が深い人でした。
父が言っていた『一番古くて新しい街』、狭いエリアに色々な表情がある多面性が魅力でもありますが、東京の中でも比較的ゆっくりと進化し、古いものも新しいものもいつでも優しく迎えてくれる安心感・包容力が日比谷の魅力なのだと思います。
そのゆっくりと変わって来た日比谷が大きく変貌しようとしています。 先日大々的にニュースで報道されましたが、帝国ホテルの筆頭株主、三井不動産さんが中心となり、日本橋に続く第 2 の重点再開発エリアとして日比谷を約 20 年かけて新しい街にするそうです。(日比谷公園含む帝国ホテルの隣の元鹿鳴館の場所である大和生命ビルやNTT、みずほ本店、東京電力など広大なエリア。敷地面積は全体で約 6.5 ha。同街区の関係権利者 10 社が日比谷地区エリア全体の価値と魅力の向上を目指して、各種関係機関との協議を共同で進めていくとの事。)
帝国ホテルの建て替えは本館が 2031 年度に着手、36年度の完成が目標。タワー館が 24 年度にスタートし 30 年度に竣工の予定との事。
現在の帝国ホテル本館は私と同じ歳で 1970 年生まれ 51 歳。3 代目です。帝国ホテルさんとのお付き合いは日本で最初のアーケード、フランク・ロイド・ライト館に出店させて頂いたのが 1922 年の 11 月ですから来年で 100 年となります。(当時の出店数は 19 店舗。現在でも残っている店舗は4店舗。※初代の帝国ホテルにはアーケードは無かった。)
4 代に渡ってずっと共に歩ませて頂いた帝国ホテルは、日々ロビーの賑わいを感じながら大好きなオールドインペリアルバーはじめ、レストランでの数々の会食、そしてホテルマン達との交流など沢山の思い出が詰まっています。
新しい日比谷は古き良きものを大事にした開発にしてもらいたいと切に願います。また、当時『東洋の宝石』と称されていたライト館には触れ合う機会が無かったので、是非リニューアルする帝国ホテルはライト館のデザインや雰囲気を活かして頂きたいと思います。
ウエダジュエラー
代表取締役社長
植田 友宏