日本の「超絶技巧」が世に広く知られるきっかけになった展覧会「超絶技巧!明治工芸の粋」(2014 年・三井記念美術館開催)を覚えている方も多いでしょう。
ある席でこの特別展が話題に出た折に、植田友宏社長が屈託なくおっしゃった一言が忘れられません。「展示品の根付、うちで見たことあるなと思って調べたらやっぱりあったんですよ、安藤碌山」と。逸品をごくふつうに所持してらっしゃる事実と、ウエダジュエラーの歴史の長さ、創業当初からの変わらない美への姿勢を垣間見た気がしました。
ジュエリーは言うまでもなく装身具であり、身を「飾る」ものです。「飾る」というと、見栄っぱり、ケバケバしいといった連想をされる方もおられるかもしれませんが、漢字「飾」を紐解くと、そもそもは食器などを布で磨いて拭き清めることを意味するといいます。そのニュアンスから連想するに、飾るという行為は本来、身嗜みに気遣い、身綺麗にすることで自分も周りも心地良い状態になることを指すのではないでしょうか。
身嗜みを気遣う心を「飾る心」と捉えると、日本人の飾る心とセンスの良さは、世界的に見ても傑出しています。今から約 300 年前の江戸時代の中期にはすでに武士から庶民まで、男女問わず「飾る心」が行き渡っています。浮世絵で見られる姿はその一例。多種多様の髪型を飾る櫛や簪といった髪飾りの豊かなこと。お金がある人はべっ甲や宝石使いの高級品を、庶民はそれなりに木地蒔絵の廉価品で装いを楽しんでいます。
武士にとって刀の周りで揺れる「印籠」はお洒落魂の発揮場所。印籠のルーツは唐から伝わった印を入れる重箱ですが、日本では小型化し、中に小銭や火打石などを入れる紐付き携帯小物入れへと進化します。根付は紐の先に付けた落下防止のストッパーですが、武士はこの小さな実用品に己のセンスを凝縮しました。
明治時代、宝石を使った西洋のジュエリーが輸入されるとすぐに、男女問わず魅了されたアイテムが「指輪」です。江戸時代後期の浮世絵や美人画には指輪を嵌めた芸妓の姿が見られますが、これはやはり特殊な例。本格的な流行は明治になってからで、「ダイヤモンド」「リユビー(ルビー)」「サツフヤ(サファイア)」「ヲパール」といった宝石名が並ぶ、指輪広告や商品カタログもたびたび見られるようになりました。
中でも一番人気はダイヤモンド。明治 20 年(1887 年)の読売新聞には、イギリスのブジェット新聞の記事として「オランダ国アムステルダムの宝石商ははなはだ品薄」「ダイヤモンド商にとって古来未曾有の大繁盛」「近ごろ中国と日本でのダイヤモンド需要がおびただしい」と紹介されています。
明治後期はまだ女性の服装は着物が一般的でしたが、髪型は西洋の風が席捲します。日本髪よりもゆるくふんわりとまとめた「束髪(洋髪)」スタイルが登場し、束髪櫛や簪も作られました。従来のものとデザインの違いは一目瞭然。アール・ヌーボーやアール・デコの影響を受けたヨーロッパ的な(和の要素も感じられる)デザインの櫛や簪、髪留めが人気を博しました。
「帯留」もこの時期に進化したジュエリーです。誕生初期(江戸時代後期)は帯崩れを防ぐための単なる実用品(組紐などに小さな彫金飾りが付く程度)だった帯留も“ここにもお洒落ができるじゃない”と女性たちが目覚めたのでしょう。飾り部分が着目され、宝石を使ったり、凝った彫金細工の帯留が人気のジュエリーになります。
化粧品も変化します。関東大震災(1923 年)以降、街の再建にともなって女性の新しい職場が創出されます。タイピストやバスガイド、デパートガールなどが人気のお仕事。洋装の女性が増え、それまでは家の中でするだけで事足りた「化粧」を外でも行う(化粧直しする)必要に迫られました。そこで登場したのが、銀製やべっ甲でパフと鏡のついた白粉のコンパクトです。これも広い意味ではジュエリーの一種。それまでは指や筆で唇に塗っていた口紅も、塗るのに便利なスティック状が広まりました。
明治以降のメンズジュエリーの隆盛にも触れないわけにはいきません。時計鎖付きの懐中時計をポケットにおさめたスーツ姿は、進歩的な男性のお洒落スタイル。シャツの袖口はカフスで留め、ふわりと襟元に巻いたネクタイの結び目には、飾りが付いたスティック状の西洋式ネクタイピンを挿しました。
紙巻き煙草の輸入にともない、銀製やべっ甲製などの「シガレットケース」も見られるようになります。国内ではもちろん輸出品としても人気で「文様も最近無意味な幾何学的連続的文様が喜ばれているという。現在、大阪、神戸港から輸出先は米国、中南米、豪州、英印等」という輸出品ニュースの記事も残ります(1940 年『工芸ニュース』)。
こうして飾る心、ジュエリーを謳歌する風も戦争によって途切れました。戦時体制期(1938 年頃~終戦まで)は貴金属を使うことが禁じられ、持ち物までも供出させられるというジュエリー受難の時代です。それでもなお、粗末な指輪や帯留で女性たちは飾る心をほのぼのと温めました。現存するこの時期のジュエリーを見るに、当時の女性たちの埋火のようなお洒落心を感じずにはいられません。
日本人に宿る飾る心と豊かなセンスはこの先、アフターコロナの時代にどのように昇華していくのでしょうか。さあ、間もなく新しいジュエリーの時代の幕が開きます。
企画編集者・著述家。ジュエリーやアクセサリーを中心に書籍編集・記事を執筆。HRD Antwerp Diamond Grader。
株式会社 Miyanse 代表。ジュエリーを学び、交流するコミュニティ・ジュエリー研究会ムスブ主宰。
(アンティークジュエリー・画像は全てウエダジュエラー所蔵)