Uyeda Jeweller
Column
和洋ジュエリー手帖
vol.20

時代を超える
飾る心、ジュエリーの普遍性

 

宮坂 敦子 / Atsuko Miyasaka

 日本の「超絶技巧」が世に広く知られるきっかけになった展覧会「超絶技巧!明治工芸の粋」(2014 年・三井記念美術館開催)を覚えている方も多いでしょう。

 ある席でこの特別展が話題に出た折に、植田友宏社長が屈託なくおっしゃった一言が忘れられません。「展示品の根付、うちで見たことあるなと思って調べたらやっぱりあったんですよ、安藤碌山」と。逸品をごくふつうに所持してらっしゃる事実と、ウエダジュエラーの歴史の長さ、創業当初からの変わらない美への姿勢を垣間見た気がしました。

安藤緑山作根付(大正から昭和初期)/ A miniature carving made by Rokuzan Ando, a Japanese sculptor (around 1910 - 1930)
安藤緑山作根付(大正から昭和初期)/ A miniature carving made by Rokuzan Ando, a Japanese sculptor (around 1910 - 1930)

安藤緑山作根付(大正から昭和初期)/ A miniature carving made by Rokuzan Ando, a Japanese sculptor (around 1910 - 1930)
明治から昭和初期の天才牙彫師と再評価されている安藤緑山(1885 年~ 1959 年)の「竹の子」の象牙の根付。徹底的にリアリティーを追求し、超絶技巧と言われている。現存し、確認されている作品は 50 数点しかなく、非常に貴重な作品である。

 ジュエリーは言うまでもなく装身具であり、身を「飾る」ものです。「飾る」というと、見栄っぱり、ケバケバしいといった連想をされる方もおられるかもしれませんが、漢字「飾」を紐解くと、そもそもは食器などを布で磨いて拭き清めることを意味するといいます。そのニュアンスから連想するに、飾るという行為は本来、身嗜みに気遣い、身綺麗にすることで自分も周りも心地良い状態になることを指すのではないでしょうか。

 身嗜みを気遣う心を「飾る心」と捉えると、日本人の飾る心とセンスの良さは、世界的に見ても傑出しています。今から約 300 年前の江戸時代の中期にはすでに武士から庶民まで、男女問わず「飾る心」が行き渡っています。浮世絵で見られる姿はその一例。多種多様の髪型を飾る櫛や簪といった髪飾りの豊かなこと。お金がある人はべっ甲や宝石使いの高級品を、庶民はそれなりに木地蒔絵の廉価品で装いを楽しんでいます。

 武士にとって刀の周りで揺れる「印籠」はお洒落魂の発揮場所。印籠のルーツは唐から伝わった印を入れる重箱ですが、日本では小型化し、中に小銭や火打石などを入れる紐付き携帯小物入れへと進化します。根付は紐の先に付けた落下防止のストッパーですが、武士はこの小さな実用品に己のセンスを凝縮しました。

 明治時代、宝石を使った西洋のジュエリーが輸入されるとすぐに、男女問わず魅了されたアイテムが「指輪」です。江戸時代後期の浮世絵や美人画には指輪を嵌めた芸妓の姿が見られますが、これはやはり特殊な例。本格的な流行は明治になってからで、「ダイヤモンド」「リユビー(ルビー)」「サツフヤ(サファイア)」「ヲパール」といった宝石名が並ぶ、指輪広告や商品カタログもたびたび見られるようになりました。

 中でも一番人気はダイヤモンド。明治 20 年(1887 年)の読売新聞には、イギリスのブジェット新聞の記事として「オランダ国アムステルダムの宝石商ははなはだ品薄」「ダイヤモンド商にとって古来未曾有の大繁盛」「近ごろ中国と日本でのダイヤモンド需要がおびただしい」と紹介されています。
 明治後期はまだ女性の服装は着物が一般的でしたが、髪型は西洋の風が席捲します。日本髪よりもゆるくふんわりとまとめた「束髪(洋髪)」スタイルが登場し、束髪櫛や簪も作られました。従来のものとデザインの違いは一目瞭然。アール・ヌーボーやアール・デコの影響を受けたヨーロッパ的な(和の要素も感じられる)デザインの櫛や簪、髪留めが人気を博しました。

ねじ梅留めのリング(大正期)/ A plum blossom motif ring (around 1920)
ねじ梅留めのリング(大正期)/ A plum blossom motif ring (around 1920)
日本独自の留め、ねじ梅留めのプラチナ製ダイヤリング。大正期に流行した。
『服装新聞』明治 37 (1904) 年 6 月 25 日、日本で最初の結婚指輪の広告
『服装新聞』明治 37 (1904) 年 6 月 25 日、日本で最初の結婚指輪の広告

 「帯留」もこの時期に進化したジュエリーです。誕生初期(江戸時代後期)は帯崩れを防ぐための単なる実用品(組紐などに小さな彫金飾りが付く程度)だった帯留も“ここにもお洒落ができるじゃない”と女性たちが目覚めたのでしょう。飾り部分が着目され、宝石を使ったり、凝った彫金細工の帯留が人気のジュエリーになります。

鈴木美彦作菖蒲帯留め(明治から昭和初期)/ Japanese Iris obi-sash clip by Yoshihiko Suzuki (late 1800s – around 1930)
鈴木美彦作菖蒲帯留め(明治から昭和初期)/ Japanese Iris obi-sash clip by Yoshihiko Suzuki (late 1800s – around 1930)
町彫の家系に生まれ、海野勝珉に師事し、加納夏雄の再来と言われた鈴木美彦(1884 年~ 1969 年)作、菖蒲の帯留め。細密画に見られるような、細部に至るまでの緻密な植物描写と、小さく愛らしいものに愛情を注ぐ日本人らしさが生きた逸品。四分一・銀。
アールデコ様式の帯留め(大正から昭和初期)/ An art déco style sash clip (around 1910 - 1930)
アールデコ様式の帯留め(大正から昭和初期)/ An art déco style sash clip (around 1910 - 1930)
アールデコ様式の帯留め。プラチナ・ダイヤ。細工が非常に繊細で当時の職人の技術力の高さをうかがい知る事が出来ます。大正から昭和初期頃。

 化粧品も変化します。関東大震災(1923 年)以降、街の再建にともなって女性の新しい職場が創出されます。タイピストやバスガイド、デパートガールなどが人気のお仕事。洋装の女性が増え、それまでは家の中でするだけで事足りた「化粧」を外でも行う(化粧直しする)必要に迫られました。そこで登場したのが、銀製やべっ甲でパフと鏡のついた白粉のコンパクトです。これも広い意味ではジュエリーの一種。それまでは指や筆で唇に塗っていた口紅も、塗るのに便利なスティック状が広まりました。

リップケース(昭和 20 年代以降)/ A lip case (after 1945)
リップケース(昭和 20 年代以降)/ A lip case (after 1945)

リップケース(昭和 20 年代以降)/ A lip case (after 1945)
進駐軍関係者の滞日記念として作られた和彫り銀製リップケース。昭和 20 年代以降の作。下の部分をスライドさせると手前面に畳まれている鏡がぱっと開く優れもの。

 明治以降のメンズジュエリーの隆盛にも触れないわけにはいきません。時計鎖付きの懐中時計をポケットにおさめたスーツ姿は、進歩的な男性のお洒落スタイル。シャツの袖口はカフスで留め、ふわりと襟元に巻いたネクタイの結び目には、飾りが付いたスティック状の西洋式ネクタイピンを挿しました。
 紙巻き煙草の輸入にともない、銀製やべっ甲製などの「シガレットケース」も見られるようになります。国内ではもちろん輸出品としても人気で「文様も最近無意味な幾何学的連続的文様が喜ばれているという。現在、大阪、神戸港から輸出先は米国、中南米、豪州、英印等」という輸出品ニュースの記事も残ります(1940 年『工芸ニュース』)。

タバコケース(昭和初期)/ A tobacco case (around 1930)
タバコケース(昭和初期)/ A tobacco case (around 1930)
和彫りの桜模様の銀製のタバコケース。昭和初期頃。
蜂須賀家の里帰りした銀器<コーヒーセット・化粧セット>(昭和20年前後) / The history is now back – Silverware of Hachisuka Family <Coffee set / Makeup set> (Around 1945)
蜂須賀家の里帰りした銀器<コーヒーセット・化粧セット>(昭和 20 年前後) / The history is now back – Silverware of Hachisuka Family <Coffee set / Makeup set> (around 1945)
蜂須賀家の里帰りした銀器<コーヒーセット・化粧セット>(昭和 20 年前後) ロンドンのオークションから、ウエダジュエラーに約 70 年ぶりに里帰りした銀器セット。旧華族の蜂須賀家からオーダーされ、すべてに卍の家紋とウエダの刻印が入っている。コーヒーセット・化粧セット全部で 14 品目 33 点あり、その中でも特に手つきブラシ、お白粉が残っているガラス容器は非常に珍しいもので、当時の華族の華やかな生活が偲ばれる。戦前・戦後、ウエダは多くのシルバースミスを抱え、プライベートジュエラーとして多くの華族の方々・公大使館からオーダーを頂いていた。

 こうして飾る心、ジュエリーを謳歌する風も戦争によって途切れました。戦時体制期(1938 年頃~終戦まで)は貴金属を使うことが禁じられ、持ち物までも供出させられるというジュエリー受難の時代です。それでもなお、粗末な指輪や帯留で女性たちは飾る心をほのぼのと温めました。現存するこの時期のジュエリーを見るに、当時の女性たちの埋火のようなお洒落心を感じずにはいられません。

七・七禁令 / The 7.7 prohibitory decree
昭和 15 年(1940 年)7 月 7 日から施行された七・七禁令(奢侈品等製造販売制限規則)。主要ジュエリーが製造販売禁止となり、ウエダジュエラー(当時K.UYEDA)も戦後まで 5 年間、同盟国であったドイツ・イタリア大使館へのわずかながらの販売を除き一切ジュエリーを販売出来なかった。

 日本人に宿る飾る心と豊かなセンスはこの先、アフターコロナの時代にどのように昇華していくのでしょうか。さあ、間もなく新しいジュエリーの時代の幕が開きます。

宮坂 敦子 プロフィール

Atsuko Miyasaka
宮坂 敦子 / Atsuko Miyasakai


企画編集者・著述家。ジュエリーやアクセサリーを中心に書籍編集・記事を執筆。HRD Antwerp Diamond Grader。
株式会社 Miyanse 代表。ジュエリーを学び、交流するコミュニティ・ジュエリー研究会ムスブ主宰。




(アンティークジュエリー・画像は全てウエダジュエラー所蔵)